2009年9月28日月曜日

皆さんのご活躍を報告(9月) 勝治さん 加藤さん 矢野さん

9月の懇親会で皆さんのご様子をうかがいました。

◎勝治誠さん
勝治さんは最近とてもお忙しく、来春まではこの状況が続く予定だそうです。
日本植物学クラブで帰化植物に関する本を出版するのですが、日本の帰化植物の絵がたくさん掲載されるとのこと。
その編集作業がなかなか大変だそうです。
アボック社 「図譜 日本の帰化植物」というタイトルで出版の予定です。
私達の身の回りにある植物ですが、「植物をきちんと見ていますか?」と勝治さん。
(野菜も果物も、よく食べるけれど、よく見たことはないですねえ。。。)
なるほど、そういう身近な部分もしっかり見ることはとても大事なことなのだと思いました。
 

◎加藤順康さん
子どもセンターでの折り紙教室で折り紙を子ども達に教えています。
大野台子どもセンターや陽光台こどもセンターなどで毎月1回くらい。
折り紙教室は常時受け付けていらっしゃるとのことです。
11月9日開催の「さがみはら農業まつり」でも参加されるとのことです。
11月22日には、さがみはら国際交流ラウンジ(淵野辺駅南口)で開催されるフェスティバルにも参加されます。
いずれも楽しいイベントです。

◎矢野英明さん
いつも講演でかけめぐっている矢野先生ですが、最近は厚木市教育委員会で<若い先生に力を出してもらうための管理職の役割>について講演をされたそうです。
富山県では、理科教育に関するセミナーを行ったそうです。
これから麻布大学での講義が始まるのだそうで、教職課程を目指す学生さんに教育課程論という講義をするそうです。
自治会の副会長もされていて、夏祭りの主催やスポーツレク大会の運営などもあり、とても忙しい夏をすごされたとのことです。

2009年7月1日水曜日

高校生のシチズンシップ教育の必要性について

6月9日の神奈川県知事の定例記者会見の概要の中で、表題のコメントが出ていました。

http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/00/1197/chiji/kaiken/h21/h20090609.html

私があまり詳しい分野ではありませんが、へえー、と思って読みました。

「将来を担う若者が、社会の一員として豊かな社会性や公共心を、学校教育においてしっかり身に付けておくことが重要だと考えております。」

なるほど、社会性や公共心はとても大事だと思います。

私などが県立高校で講話をしたときの印象ですが、学力が高いと言われる高校の生徒さん達は、進学や就職に関係なさそうな話題には鈍感なのではないかと感じました。

もしかすると私の方が鈍感だったのかもしれませんが、受験を最優先課題にしている高校生にとって、社会性や公共性とはどのような位置づけとしてとらえるものでしょうか。

「こうあるべき」という考えを彼らに押し付けるだけでは何の結果も生まれないでしょうから、現状を根本的に変えることを考えるべきであって、それはすなわち学校教育に関わる全ての人の意識を変えてゆく必然性を持っている人思います。

どうか、生徒にご立派な理屈を押し付けるだけでは終わらせないでいただきたい。
そんなことなら何もしないほうがましだと思います。

まずは学校や親が自分の意識を変える努力をするところからはじめるべきなのでしょう。

2009年4月1日水曜日

喫煙室設置の校長起訴猶予 というニュース

愛知の私立高、喫煙室設置の校長起訴猶予

というニュースがありまして、この件は報道された当初から気になっていたものです。
私は不起訴と聞いてなんとなくホッとしてしまったのですが、皆さんはどのようにお感じになったでしょうか。

高校内に喫煙室を設置したことは確かに法令に違反はするけれど、では常識ある校長だったらこうはならなかったのかどうか。

違反だからといって喫煙室を撤去しても、それで喫煙が無くなるということではないでしょうが、<学校としては違反していない。>という状況にはなります。

結局、きれいごとだけで済ませてしまっているのではないか。
そのあたりが私には気にかかるところです。

違反しているのは生徒なのですが、喫煙している生徒達に対し司法の目が向けられているのかどうか。
すべて学校任せになっているのではないか。
このあたりの実情は私にはわからないのですけれど。

かつて、授業妨害をしている中学生に対し「公務執行妨害罪」を適用しようとした話を聞いたことがあります。
公立中学校の先生が行う授業は「公務」にあたりますから、授業妨害は公務執行妨害だと。

でも学校としては学校内に警察が介入することを喜ばないのでしょうし、世間の常識としても受け入れがたいかもしれません。

学校には治外法権的な部分があります。
これはある意味で当然ではありましょうが、どのあたりで線を引くかが難しいのだろうと思います。

このニュースの事例は、今後どのような教訓として生かされるのでしょうか。

2009年3月31日火曜日

ナツガク2009 人材募集中です。

ナツガクもすでに3回、無事に実施してきました。

無事どころか、予想以上の大きな成果を収めてきたと思いますし、今年は相模女子大学のご協力を得て、昨年以上に活発な内容になると思います。

そんな中、ナツガクが抱える問題のひとつに「人手不足」があります。

当日スタッフの人手も足りませんが、事前準備も大変です。
とても地味な部分が多いのですが、実行委員として協力くださっている方々のご苦労には感謝の言葉しかありません。

応援団の関係者の数は、それこそ数百人にもなるかと思いますが、ナツガク実行委員は数名のメンバーで運営されています。

皆さんにお願いです。
ナツガクのスタッフとして協力してくださる方を探しています。

皆さんご自身でも結構ですし、お知り合いの方でもよいのです。
できる範囲で少しずつでも協力していただける方を探しています。

どうぞ人材確保にご協力くださいませ。

ひの

2009年3月24日火曜日

語りと和楽器で紡ぐ春の調べ(会員イベント情報)

この4月に以下のような催しを企画しています。
春の宵、夢かうつつか・・・のひとときを、いかがでしょうか。

坂口安吾作 「桜の森の満開の下」
       島 映子 朗読  阿部晃山 尺八/西谷八千代 箏
  松谷みよ子著 「千代とまり」
       金田 瑠奈 朗読  西坂由起子 琵琶
  夏目漱石著 「夢十夜」より「第一夜」
       西坂 由起子 朗読/琵琶

2009年4月25日 (土曜)
開演:午後3時(午後2時30分開場)
会場:文芸社サロン(文芸社地下1階)東京都新宿区新宿1-10-1
交通:東京メトロ丸の内線 新宿御苑前駅 徒歩5分
都営バス 新宿一丁目下車 徒歩1分
料 金:1500円
連絡先:島 映子 080-5493-3391

2009年2月27日金曜日

県立高校で講話してきました

先日、とある県立高校の3年生を相手に講話をしてきました。
これで2回目でしたが、今回の方が悩むことが多かったです。
1回目は進学校だったのですが、少々難しい話でも黙って聞いてくれるだろうという期待がありまして、実際のところ黙って聞いていてくれました。
でも私が望むのは、ただ黙っていてくれることではないので、今回はもっと刺激的な内容にしたいと思っていました。

2回目の学校は卒業前の生徒さんで、しかも大学進学者の割合はすくない状況でした。
あまり勉強が得意な生徒さんたちばかりではないということです。
すぐに話にあきられてしまったらどうしよう・・・というのが私の不安でした。

どんな話にしようかいろいろ迷いました。
でも自分の専門分野の話では(法律系ですので)眠たくなりそうだし、くだけた話ばかりでも役にたたないし、最終的には
「生徒さんたちの顔をみて考えよう」と思いいたりました。
つまり、ぶっつけ本番、ということです。

話した内容はいろいろだったので、あえて触れませんが、講話を終えて印象的だったのは、生徒さん達のいきいきした様子です。
主に女性でしたが、私はとても話しやすかったし、もっと何度もかれらとじっくり話をしてみたいなあ、と思いました。

彼らにとっては迷惑かもしれませんが、この子達の先生になってみたいなあ、と思いました。
実際は先生方のご苦労は大変なものでしょうが、私にとっては進学校での講話よりも、ずっと充実した時間をすごした気分です。

もうすぐ卒業する彼らの未来に幸あれ。
私の話がほんのちょっとでもいいので、彼らの役にたっていたらいいなあ、と思います。


hino

2008年8月24日日曜日

ゆとり教育は「先生のゆとり」から

私はNPO活動を通じて、もうひとつは小学生の親として、学校の先生のことを考える機会があります。
一方で、マスコミが取り上げる「ゆとり教育」という言葉について考えることが多くなりました。
世間では「学校五日制」とか「総合的な学習」とかいった側面について話題になっていますが、それらは子供たちの授業内容をどうするかというテーマです。

そういったことが現状でどれほど重要なのだろうかということを考えています。
そもそも日本人の学力低下を数字で把握して、その結果とされる学力低下傾向が日本社会をより不幸な方向に導いてゆくということになるのか。
そして世界順位で学力数値を国際比較することに何の意味があるのか。
親にしてみれば、自分の子も、よその子も、立派な社会人になって悔いのない人生を送ってくれればよいのです。
そのために限られた子供時代を有効につかってもらいたいのです。
受験のためや競争のための勉強ではなく、教養のある豊かな人生観を持った大人になってほしいのです。
いくら競争したところで、必ず誰かが一番になり、誰かがビリになりますが、そういう仕組みが社会にどれほど良い効果を与えてきたものやら。
そういった意味で、私の感覚と「ゆとり教育」の議論は、土俵が違うというか、話にのれないなあという気がします。

むしろ気になるのは、学校の先生の「ゆとり」不足です。
小学校の先生が置かれた状況を聞いていると、先生は忙しくて、生徒たちを見ている余裕がないのではないかと思うのです。
先生にゆとりが無いのに「ゆとり教育」の議論をしていったい何の意味があるのでしょう。
だって、先生の細やかな気配りなしに満足な学校教育がありえるのでしょうか?
そういった疑問を持ってしまうのですが、親たちが先生自身の様子を知ろうにも実態を知りにくいのが学校の現実です。

上司の気遣いばかりしている人をたとえて「ヒラメ」と言ったりします。
先生がヒラメになるのは先生の責任ではなく制度の問題でしょう。
外部から何か問題が指摘されると、それをどうしましょうと議論しているうちに、「文章づくり」の仕事が増え、あれも報告せい、この裏付け資料をもってこい、と上から言われて、先生は生徒の気持ちを考える時間が減ってしまい、目が行き届かないためまた別の問題が発生してしまうという悪循環。

役人が授業をしたって面白くないし、ためになりません。
先生の心のゆとりがあり、豊かな教養があって初めて子供達に豊かな教育を与えてもらえると思うのです。
ゆっくり何事かを考える時間が必要なのであって、先生が普通の人とふれあい、さまざまな刺激を受けるためにも使っていただきたい。
先生家族とか、先生仲間とか、そういう偏った世界にひたっていたら進歩しにくいです。
偉い先生やら専門家やらの授業を聞かせてもダメです。
自分からすすんでいろんな人と仲良くし、議論して、いろいろな世界や考え方を知ってもらわないと。

一般社会に出ないうちに生徒が先生に成り代わってしまうのは、その先生にとっても、その生徒達にとっても、あまり喜ばしいことではないとも思います。
先生を教育の専門家として育成しても、人生の先輩としての要素が抜け落ちていたら役に立たないでしょう。
先生はどうしても学校の先輩とか、学業の先輩になってしまいがちだと思いますが、ほとんどの子供達は先生にはならないし、学者にもなりませんから。